浦和地方裁判所 昭和54年(ワ)310号 判決 1983年12月12日
原告
森田勝
右訴訟代理人
梶山敏雄
佐々木新一
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
半田良樹
外四名
主文
1 被告は原告に対し、金九七一万三七〇〇円及びこれに対する昭和五四年四月二二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一 本件事故の発生について
1請求原因第1(一)のうち、原告が昭和四七年一二月九日駒込署(署長白井静夫)の安西係長によつて業務上横領容疑で逮捕され、同月一一日から代用監獄である同署に勾留され、同月二八日東京地方裁判所に起訴された後も、昭和四八年一月二六日午後二時頃東京拘置所に移監されるまで同署に勾留されていたことは、当事者間に争いがない。
2そして、<証拠>を綜合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告が同署に勾留された昭和四七年一二月一一日頃の健康状態は良好で、血圧も正常であつた。当初は、同署一階の雑居房に収容されていた。昭和四八年一月一三日に同署内で嘱託医である加藤医師による定期健康診断をうけた際に、血圧が最高一五〇粍、最低九〇粍と測定され(当時の原告の年令は満四一才であつた。)、感冒に罹患していると診断され、感冒薬の投与をうけた。当時は寒気の厳しい頃であつたが、同署内の留置室には、暖房装置、器具は全くなく、昼間は、座蒲団替りに毛布が一枚支給され、夜間は九枚程度の毛布が支給されるにすぎなかつた。同月二〇日には加藤医師による定期健康診断が行われたが、その際の原告の血圧は最高一六〇粍、最低九〇粍と測定されたが、診断は「健康」と判定されている。なお、同月二三日原告は自費で「トクホン」を購入している。
次に、同月二四日午前一〇時頃原告は石井看守係主任に対し、「風邪を引いたようだから、医者にみせてほしい。」と依頼し、加藤医師の往診をうけて、同日午前一一時五〇分から同日午後零時一〇分まで診察をうけた。その際の血圧は最高一四〇粍、最低八〇粍であつたが、原告は目まいと便秘症状を訴え、その結果、感冒の疑いありとして、同医師から投薬を受けた。
(二) ところが、翌二五日早朝から原告は前にもまして、目まいをひどく覚え、頭、両肩が異常に重く感じた。そこで、同日午前一〇時頃石井主任に対しその旨を訴えたところ、同主任は、原告に二階の独居房(同署では病房といつているが、病房としての設備はない。一階より日当りがよく、静かであり、日中でも横臥してよいことになつているだけである。)に行くように指示され、原告は二階の独居房である一〇房に移り、毛布を一二、三枚支給されて横臥していた。同日午後一時三〇分頃、原告は妻礼子と面会するため階下に降りたが、その際、手摺りなどに掴まらなければ歩けないように感じたので、安西係長に対し、医者の往診を依頼した。同係長は、石井主任を通じて加藤医師の来診を求めたが、同医師が在宅しないので、帰宅を待つていたが、同日午後七時三〇分頃に原告が右房内で嘔吐するという事態になつた。やがて、同日午後九時三五分加藤医師が来署し、原告を診察したが、血圧は最高一六〇粍、最低が八〇粍であり、原告は目まいと嘔吐を訴えた。加藤医師は、原告の疾病を高血圧症と診断し、投薬をするとともに、立会つた安西係長に医師のいる施設へ移すよう勧告した。安西係長は、翌日上司と協議して、原告を東京拘置所に移監することを考えた。原告は、その後二階一〇房で加藤医師が与えた薬を飲んで寝たが、夜半尿意を催して起きようとしたところ、右半身に力が入らず、房外にある便所まで歩くことができないため、房内にあつた洗面器に排尿した。そして、翌二六日午前六時頃には、自力では全く起き上がれない状態となり、排尿も床の中でするほかなかつた。また、軽度の言語障害も生じた。なお、原告は、当日東京地方検察庁で取調を受ける予定になつていたが、同日午前六時頃迫地看守は田口巡査から、「原告の押送は無理だから取り消す。」との連絡をうけた。
(三) 原告が二五日の夜半から翌二六日午前六時頃までの原告の容態の変化については、駒込署に同夜宿直勤務した前記安西係長、迫地看守ほか四名の署員は見廻りをしながら、原告の房内まで入つて監視をしていないため、全く認識していなかつた。また、同日朝六時頃、原告の容態が悪いことを察知した後においても、同署員は午前八時頃東京拘置所への移監手続をとつたのみで、医師の来診を求めることもしなかつた。そして、同日午後一時半頃、房内において動けない原告を署員四名で担架に乗せて押送車に運び、同車に毛布を敷いて原告を横臥させたまま東京拘置所に向つた。原告は、右移監途中で、安西係長に「タバコ、タバコ」といい、毛布の中から手を出して煙草を欲しがつたが、同係長は与えなかつた。同日午後二時頃原告は東京拘置所に着き、水越巡査が原告を背負つて同所内に運び入れた。
大要以上の事実が認められ(但し、原告が昭和四八年一月二五日に妻と面会のため階下に降りたこと、同日午後九時三五分頃、加藤医師が原告を高血圧症と診断したことは当事者間に争いがない。)、<証拠>中、右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
3次に、<証拠>を綜合すれば、次の事実が認められる。
原告は、前記のとおり昭和四八年一月二六日午後二時頃東京拘置所に移監された後、直ちに着衣を脱がされ、一病一階二二房に収容され、午後二時一五分頃入所時健康診査を受けた。その際、同拘置所医務部医師佐瀬民雄の診察したところによれば、原告の病状は、「診察時、意識なく、横臥位して口中に泡があり、いびきをかく状況で、上下肢とも肘及び膝関節で屈曲して、胸部に置き、左手及び左足先のみ多少動かす。両下肢は、伸展強直し尖足状態である。いわゆるマンウェルニッケ姿態である。血圧は最高一八〇粍、最低一一〇粍である。神経学的には、しよう毛反射、角膜反射及び瞳孔対光反射はほとんどみられず、両下肢にバビンスキー反射をみる。」という状況にあつた。
そこで、同医師は脳内出血と診断して、直ちに原告を病舎に収容し、カテーテルによる導尿、酸素吸入及び薬剤による点滴治療を開始した。そして、同拘置所では同日午後三時五分、原告を重症に指定し、同日午後三時四〇分には、同拘置所庶務課から東京地方裁判所刑事第一四部書記官宛に「当所在監者森田勝は本日午後三時五分脳内出血のため重体におちいりましたので報告します。拘置所としては、現在本人は動かせない状態にありますので、経過をみて処置をとりたいと考えています。」と電話連絡をした。
その後、拘置所においては、昼夜を分たず、原告の治療に努め、かつ夜間には特別動静観察を実施し、二〇分ないし三〇分毎に経過をみて容態の変化を見守つてきた。その結果、原告の容態は同月二九日には小康状態になり、同月三〇日には、右半身麻痺及び発語不能ではあるが、簡単な問いかけは分るようになり、首を振ることによつて否定の意思を現わすこともできるようになつた。血圧も最高一四二粍、最低九二粍で、体温も36.5度となつたので、同日東京地方裁判所は原告の勾留執行停止決定をし、原告は同日医療法人社団厚生会埼玉厚生病院に入院し、昭和五一年一二月二五日まで同病院において治療を受けた。しかし、右脳溢血症の後遺症として、昭和五七年六月二二日現在で、「一、右半身不全麻痺中等度にて独歩可能、要補助具、二、軽度言語障害、理解可能、三、右肘関節拘縮による偽関節の運動制限約一一〇度屈曲、労働災害補償の七級4号に属するが、六級程度にも解釈し得る。」後遺障害が残つている。
右のような事実が認められ、<証拠中>右認定に抵触する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
4ところで、被告は原告の右脳溢血症の発症時点を争い、右発症は原告を東京拘置所へ移監した後であるとして、縷々主張するのでそのうち、主要な点について判断を付加する。
(一) 被告は、原告が駒込署の房内で嘔吐、失禁したことはないと主張し、前記安西、迫地、水越の各証人は、いずれも右主張に沿う証言をする。しかし、乙第一号証の五(昭和四八年一月二五日付留置人健康診断診察簿)は、駒込署備付の公式記録であり、それに「嘔吐」と記載されているのであつて、それを「はき気」との記載違いであるとする前記安西、迫地証人の各証言は到底措信することができない。また、失禁の有無の点についても、水越証人は、原告を背負つて拘置所に運んだ際、原告の着用していたパジャマのズボンは濡れていなかつた旨証言し、安西証人も原告に失禁はなかつた旨証言する。しかし、一月二五日夜半から翌一月二六日午後一時半に原告が移監されるまでの間、原告が房外に歩いて行つて排尿したことを証する証拠は何もないのである(原告が房外にある便所に行くには、看守の許可がいる筈である。)。これに反し、原告が一月二五日夜半やつと立つて房内の洗面器に排尿した後には、全く起立することができず、そのため、毛布の中でたれ流しをしたとの原告本人の供述(第一、二回)は、前記2、3で認定した原告の容態の変化の状況に照らして、首肯し得るところであり、これに反する右両証人の証言は採用し難い。
被告は、原告に嘔吐があつたとしても、これは高血圧症の兆候であつて、脳溢血症というべきではないと主張し、証人田平禮三の証言によれば、右主張は首肯し得る。しかし、同証人の証言によれば、四肢の一部に麻痺が生ずれば、脳の血管障害として判断して差し支えないと認められるところ、前記2の認定事実によれば、原告は一月二五日夜半から、その症状がでていることが認められるのであるから、原告の罹患した脳溢血症は駒込署内において発症したというべきであり、右主張は結局理由がない。
被告は、原告を担架で移監したのは、原告が病院でなく、拘置所に移監されたことについて、ふてくされ、起き上らないのでやむを得ず執つた措置であると主張し、前記石井、安西、水越の各証人は、符節を合わせたように右主張に沿う証言をするが、右各証言は、原告が東京拘置所に到着した一月二六日午後二時一五分頃には脳内出血との診断をうけ、まもなく重症指定とされた前記3の認定事実に照らして到底信用することができない。
(二) 被告は、東京拘置所職員作成の動静経過表の昭和四八年一月二六日午後二時三〇分の動静視察経過事頃欄には、「高血圧のため一病一階二二房に入房」と記載されているとして、右時点では、脳溢血症は発症していない旨主張する。なるほど、前掲甲第二一号証中の「動静経過表」の一月二六日の「動静視察経過事項欄」には「高血圧の為一病一階二十二房に入病、カユ、減塩運入浴停止14.30分」と記載されている。しかし、右事項欄の記載は、一月二六日から一月三〇日までの間の経過を看守が簡単に記入したものと推測されるのであつて、「高血圧症」なる文字も、それが右事項欄の冒頭の記載であることに鑑みれば、看守が、拘置所の医師の診断前に、駒込署からの報告によつて病名を記入したものと窺われないわけではない。また、「14.30分」との記載は「カユ、減塩、運入浴停止」の下に記入されているところからみて、右時刻に看守が拘置所内の厨房その他の係看守に食事内容等を連絡したことを記入したにすぎないと推測することが可能である。
してみれば、右記載のみから、被告の右主張事実を認めることはできない。
また、被告は、同日午後三時五分になつて、拘置所の医師が原告に対し、酸素吸入を実施し、原告を重症と指定した旨主張するが、前記「動静視察経過事項欄」には、「酸素吸入実施一五時五分重症指定」と記載されているのであるから、右記載によれば、酸素吸入は一五時五分の前に行われ、一五時五分に重症指定がなされたと推測するのが相当であるから、右主張も採用の限りではない。
(三) 被告は、移監の途中で原告が二、三回右手の指を毛布から出し、顔のあたりまでもつてきて、「タバコ、タバコ」といつて要求したこと、また、水越巡査が背負つたときも身体硬直がなく、意識も明瞭であつた旨主張する。そして、原告が煙草をほぼ右主張のような挙動で要求したことは前記2で認定したとおりであり、原告が拘置所に収容された午後二時頃の時点では、原告の意識はかなり明瞭であつたことは原告本人の供述(第一、二回)によつて認められるが、前掲甲第二一号証中の「症状経過表」によれば、午後二時一五分頃拘置所の佐瀬医師が診察した時点では原告本人の右供述にもかかわらず、意識がなかつたと認めるのが相当である(なお、この点について、前掲甲第二六号証<佐瀬医師作成の診断書>中には、「昭和四十八年一月二十六日午後二時頃当所に入所したものであるが、すでに意識全く不明」なる旨の記載があるが、右記載は時刻の点でやや不正確である。)。また、拘置所に原告を収容する段階で原告に身体硬直がなかつたとする被告の主張については、単に原告を背負つたとき原告の膝が曲つたという前記水越証人の証言が存するのみであるところ、右事実からだけでは原告の両下肢に身体硬直がなかつたとまで認めることができない。
右認定の事実関係のもとにおいては、原告の脳溢血症は、昭和四八年一月二五日夜半以降にはすでに発症したものと推認するのが相当であり、右発症が拘置所に移監された後であるとの被告の主張は採用することができない。
二 被告の責任
1原告が被告の公権力の行使に当る駒込署長の職務執行として代用監獄である駒込署に勾留されていたことは当事者間に争いがなく、同署長及びその部下である駒込署員の身柄拘束、監視下において本件事故が発生したことは前記認定のとおりである。
2ところで、代用監獄は、監獄法一条三項の規定により、警察官署に付属する留置場を監獄に代用するものであるから、被拘禁者の処遇に関し、監獄法及び同法施行規則の適用を受ける施設であることは明らかである。しかして、監獄法は、病人の治療等について「在監者疾病ニ罹リタルトキハ医師ヲシテ治療セシメ必要アルトキハ之ヲ病監ニ収容ス」(四〇条)、「病者医師ヲ指定シ自費ヲ以テ治療ヲ補助セシメンコトヲ請フトキハ情状ニ因リ之ヲ許スコトヲ得」(四二条)、「精神病、伝染病其他ノ疾病ニ罹リ監獄ニ在テ適当ノ治療ヲ施スコト能ハスト認ムル病者ハ情状ニ因リ仮ニ之ヲ病院ニ移送スルコトヲ得、前項ニヨリ病院ニ移送シタル者ハ之ヲ在監者ト看做ス」(四三条)旨規定し、同法施行規則一一七条一項には、「治療ノ為メ特ニ必要アリト認ムルトキハ所長ハ監獄ノ医師ニ非サル医師ヲシテ治療ヲ補助セシムルコトヲ得」なる旨の規定が設けられている。なお、被疑者留置規則三五条は、「被疑者または被告人を代用監獄としての留置場に収容する場合については、他に特別の定めのある場合を除き、この規定を準用する。」旨規定し、同規則二七条は「留置主任者は、留置人が疾病にかかつた場合には、必要な治療を受けさせ、別房に収容して安静を保たせ、または医療施設に収容する等その状況に応じて適当な措置を講じなければならない。」と規定している。したがつて、代用監獄の長である駒込警察署長はもとより、その部下である駒込署員は、右法令及び規則に基づいて、被拘禁者の生命、身体を保全し、かつその健康が害なわれることがないよう不断に注意し、もし被拘禁者が疾病に罹つた場合には、速やかに専門医師の診察を受けさせ、その病状、容態の推移をみて必要のあるときは病監あるいは病院等の医療施設に収容あるいは移送するなど適切な措置を講じ、もつて、自由が拘束され自力ではその回復措置のとれない状態にある被拘禁者の生命、身体の保持に努めるべき注意義務を負つているものというべきである。
そこで、右の見地に鑑み、前記認定の本件事故の発生が駒込署長及び同署員らの過失に基因するものであるかどうかについて検討を進める。
(一) 前記のとおり、原告は駒込署に拘禁された昭和四七年一二月一一日頃の健康状態は良好で、血圧も正常であつたが、翌昭和四八年一月一三日の定期健康診断では、血圧が最高一五〇粍、最低九〇粍と測定され、その一週間後の同月二〇日の測定時には最高一六〇粍、最低九〇粍の血圧を示していたのであるから、原告はすでに高血圧症の徴候を示していたというべきところ、同月二四日には風邪のため加藤医師の往診をうけ、その際の血圧は最高一四〇粍、最低八〇粍であつたものの、翌一月二五日には早朝から目まいを覚え、石井主任にその旨を訴え、二階の独房に移り横臥するに至り、同日午後一時三〇分頃には、安西係長に対し、体の不調を話して、医師の来診を求めたのである。しかるに、同係長及び石井主任は、嘱託医の加藤医師が不在であるとして、慢然同医師の帰宅を待ち、原告の病状は同日午後七時三〇分頃房内で嘔吐するという事態になつた。漸く加藤医師が来診したのは同日午後九時三五分である。その間八時間以上も原告を放置したものである。代用監獄たる駒込警察署には、当時常駐の医師がいないのであるから、医師の診断を要する事情が生じたときは、嘱託医が不在であるからといつて、拱手傍観することなく、可及的速やかに他の医師の援助を得て、病者の治療に当るべきことは監獄法施行規則一一七条及び被疑者留置規則二七条の各規定に照らして明らかである。
(二) 次に、加藤医師の診察の結果は、高血圧症であり、同医師は原告を医師のいる施設に移すよう安西係長に勧告した。このような場合には、その後の病者の容態の変化について十分観察するのはもとよりであるが、当時は一月下旬の極寒の時期であるから、病監のない駒込署としては、被疑者留置規則二七条が、「その状況に応じて適切な措置を講じなければならない」と規定しているところに従つて、原告の病状が増悪しないように、房内を暖めるとか、もしそれが不可能であれば、湯たんぽ及びこれに類する暖房器具を供与する等適切な看護の措置を執るべきであつた。しかし、本件においては、前記のとおり、原告の容態の変化に対する観察はもとより、原告に対する適切な看護の方法も講ぜられなかつた。この点について、安西係長は、「加藤医師から医師のいるところへ移した方がよいと言われた後、原告に間違いがあつてはいけないので、その日の宿直幹部に巡視のときは原告の顔色とか寝息など身体の状態について注意し、異常があつたら報らせるように言つた。巡視は一時間に三回行われた。」旨証言するが、もし、そのような周到な監視の措置がとられていたならば、原告の容態の変化に当然気付くはずである。
(三) そして、原告に一月二五日夜半から翌一月二六日午前六時頃には右半身麻痺及び言語障害がみられたこと前記のとおりであり、しかも、駒込署員は当日午前六時頃には原告の容態に鑑み、当日予定されていた取調が不可能であることを認識していた。
かように、原告に右半身麻痺の症状が現われた以上、駒込署員はこれを早期に発見し、これを医師に通報し、その来診を求めるべきであつた。そして、証人田平禮三の証言によれば、四肢に麻痺があれば、直ちに入院設備のある病院に収容すべき容態であつたことが認められ、また、成立に争いのない乙第一一号証、前記安西証人の証言によれば、当時原告は総額八四万円の業務上横領容疑ですでに起訴され、取調はほぼ終つていたことが認められるのであるから駒込署長としては、移監手続を待たずに緊急に監獄法四三条もしくは被疑者留置規則二七条の規定に基づいて原告を病院に移送して適切な治療を受けさせるべきであつたものと認められる。しかるに、駒込署員が原告を房内に入つて監視する等適切な措置を怠つたため、原告の下肢麻痺に気付かず、また、午前六時頃には原告に異常のあることを察知しながら、特段の措置をとらずに同日午後二時原告が東京拘置所に移監されるまでの間、原告に対し救急医療措置を受けさせずに放置した。
3前記(一)ないし(三)で認定、判断したところによれば、駒込署員は一月二五日午後一時半頃、すでに通常より血圧が高くなつている原告が目まいを訴え、体の不調を訴えているのであるから速やかに医療の機会を与えるべきであり、また、同夜には、医師のいる施設へ原告を移すことを加藤医師から勧告された状況に立ち至つたのであるから、その後は原告の容態の変化を十分監視し、かつ、病状が悪化しないように看護を強化すべきであつた。
しかし、田平証人の証言によれば、原告の高血圧症は本態性で体質的、遺伝的なものであり、右高血圧症が脳溢血症の要因であることが推測されること、脳溢血症は急激に生じるもので、原告の右時点における症状が目まいと、嘔吐、最高血圧一六〇粍、最低血圧九〇粍という程度では、高血圧症の一般的症状であるに止まり、医師によつても、いまだそれが脳溢血症の前駆的症状であると予測することはできないものであることが認められるから、右時点までに駒込署員に前記のような適切を欠いた措置があつても、脳溢血症発症についての不法行為責任を問うことはできないというべきである。
ところが、原告に一月二五日夜半以降下肢麻痺という脳溢血症状が現われたのに駒込署員がこれを看過したこと及びその治療のための医師による早期受診及び入院設備のある病院への移送等監獄法四三条、被疑者留置規則二七条所定の義務を怠つたことは前記のとおりである。そして、脳溢血症に随伴するであろう下半身麻痺及び言語障害は避けられないものではあるが、本件においては、実に発症後一二時間もの間原告は医師の治療もうけずに放置されたのであり、その結果、原告に前記のように四年間という長期入院及び決して軽度とはいえない後遺障害を負わせることになつたことは、前記認定の事実関係から推認し得るところであり、したがつて、被告は原告の罹患した右脳溢血症の増悪についての責は免れないというべきである。
ところで、被告は、駒込署員の義務違反と脳溢血症の発症及び後遺障害との因果関係を争うので、この点について若干判断を付加する。
(一) 被告は、原告の脳内出血の部位が脳幹部の内包あるいは橋部であるから、駒込署員が脳溢血症の発症に気付き、これに適切な治療がなされても後遺障害を防ぐことはできなかつた旨主張し、前記田平証人の証言によれば、原告の脳内出血の部位が被告主張のとおりであることが窺われるけれども、同証人の証言によれば、右部位の出血があつた場合には、手術的治療はできないが、安静にして止血剤を投与し、酸素吸入を行い、栄養補給を行う内科的治療ができること、そして、右の措置は緊急に行うべきものであることが認められるのであつて、これが早期の段階で行われていたならば、前記のような重症な余後及び後遺障害を相当程度回避し得たと推認されるから、駒込署員の過失と脳溢血症の増悪との間の因果関係自体を否定することはできないというべきである。したがつて、右主張も採用できない。
(二) 被告は、原告の脳溢血症に対する内科的治療は東京拘置所においても十分できたから、駒込署員が原告を医療施設に送らなかつたことと後遺障害との間に因果関係はないと主張する。しかしながら、前記のとおり、原告が駒込署内で脳溢血症を発症してから東京拘置所に移監するまでの約一二時間駒込署員は原告に対して何ら救護及び治療の機会を与えなかつたこと前記のとおりであるから、仮に、専門病院及び同拘置所における治療が同一であつても、右時間内に治療がなされずに増悪した脳溢血症と後遺障害との因果関係を否定することはできないというべきであり、右主張も採用できない。
右によれば、被告の公権力の行使にあたる駒込署長及び同署員の職務上の過失により、原告の脳溢血症が増悪し、原告に対し損害を被らせたものというべきであるから、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、原告の被つた損害を賠償する義務を負うものといわねばならない。しかし、前記の認定、判断したところによれば、本件事故は、原告が有していた体質的、遺伝的負因が基盤となつて高血圧症及びこれに連なる脳溢血症が発症したものであることを否定し得ないこと前記のとおりである以上、被告の責任は右脳溢血症の発症そのものについてではなく、その増悪についてのみ責を負うべきものであるから、本件事故によつて生じた損害全額について被告に責任を負担させるのは相当ではない。そこで、前記認定の諸般の事情に鑑みて、被告に負担させるべき、いわゆる寄与分を考慮すれば、本件においては、後記認定の全損害のうち、慰藉料を除くその余の部分について五割の限度で相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
三 損害
1逸失利益について
(一) <証拠>を綜合すれば、原告はゴルフ関係の事業に詳しいことから、昭和四七年一月柿崎工業株式会社に営業部長として勤務していたが、同会社のため保管中のゴルフ会員募集の手数料総額八四万円を同年九月七日及び一〇月七日の二回にわたり業務上横領し、同年一〇月三一日同会社を退社し、同年一一月一三日東京都町田市内でゴルフ場を経営する日本ゴルフ場企画株式会社に企画部長として入社して勤務していたところ、同年一二月九日駒込署で逮捕されたこと、なお、当時、原告は満四一才の健康な男子で高校卒の学歴を有し、稼働意思と能力を有していたことが認められる。
そして、その後原告が昭和四八年一月二六日から同月三〇日まで東京拘置所に収容されて脳溢血症の応急的治療を受け、同日より昭和五一年一二月二五日まで脳溢血症及びその後遺症のため前記埼玉厚生病院に入院して治療をうけたが、現在もなお右半身不随麻痺、言語障害等の後遺障害が残つていると認められることは前記のとおりである。
ところで、<証拠>によれば、原告は退院後の翌昭和五二年一月六日から、再びゴルフ会員の募集及びコンサルタントの仕事を始めたこと、しかし、当初は収入なく、同年四月に初めて一二万円を得、その後同年九月までは月平均五万円、同年一〇月、一一月、一二月は各一〇万円、翌昭和五三年一月からは月収三〇万円となり、約一一か月間続き、その後は順調に伸びて月平均六〇万円となり、昭和五五年、昭和五六年には月収一〇〇万円にも達したが、昭和五七年以降は月平均四〇万円の手取収入を確保して現在に至つていること、現在、原告は、関節炎の治療のためと歩行が不自由なことによる治療費、車代等で相当多額の費用の支出を余儀なくされているものの、稼働意欲はかなり旺盛であつて、右の諸費用を出捐してもなお、平均月収四〇万円は下らない収入を得ていること、遠い将来における原告の収入が前記後遺障害のためどの程度の影響を受けるかの予測は困難であるが、原告のこれまでの収入の実績及び原告の職業がコンサルタントであつてその知識、経験に多く依存するものであること等からすれば、現在程度の収入は将来も持続して挙げ得る可能性のあることが認められる。
(二) 原告は昭和四七年一二月二八日東京地方裁判所に起訴されたこと前記のとおりであるが、<証拠>を綜合すれば、原告は遅くとも昭和四八年二月中には、第一回公判が開かれて罪証いん滅の虞れがないものとして保釈され、その後において受刑することはなかつたであろうと推測することができる。
(三) 右(一)及び(二)の認定事実によれば、原告は、昭和四八年三月から昭和五二年一二月までの期間、本件事故によつて休業もしくは減収を余儀なくされたものというべきところ、右期間中に得べかりし原告の収入額については、原告の主張、立証はないが、賃金センサスの平均給与額程度の収入は挙げ得る稼働能力はあつたと認められるから、右統計によつて算定するのが相当である。そして、右収入から前記認定したところの控除を行うと、その数額は、別表「休業損害計算表」のとおりとなるから、その総額六三六万一二〇〇円をもつて休業もしくは労働能力減退に基づく損害と認めるのが相当である。昭和五三年一月以降原告が六七才に達するまでの稼働可能期間については、前記のとおり、原告は前記後遺障害にもかかわらず、昭和五三年一月以降現在まで本件口頭弁論終結時に最も近い昭和五六年における賃金センサス(四九才「旧中、新高卒」)による年間平均給与額四六二万七七〇〇円の半額を上廻る収入を得ており、また、将来も賃金センサスの平均給与額の半額を超える収入を得られることが推測されるので、原告は本件事故による労働能力の減退によつて被告に請求しうべき現実の損害を被つているとはいえないというべきである。
この点に関し、原告は異る見解に立つて、原告の逸失利益を満四一才から満六七才まで労働能力喪失率六七パーセントとして算定すべき旨主張するが、損害賠償制度は被害者に生じた現実の損害を填補することを目的とするものであるから、労働能力の喪失、減退にもかかわらず、本件のように、原告が稼働を再開して相当の収入を挙げ得る状況となり、それが将来にわたつても持続すると予想される場合には、右時期以降の現実の損害は発生しているとはいえないから、原告の主張は採用できない。
2入院諸雑費
原告が本件事故によつて前記認定の昭和四八年一月三〇日から昭和五一年一二月二五日までの期間入院したことは前記のとおりであり、約四七か月(少なくとも一四一〇日)の間入院諸雑費として、少なくとも、一日当たり金五〇〇円を出捐したことは、弁論の全趣旨から容易に推認されるから、原告主張の七〇万五〇〇〇円の半額に相当する三五万二五〇〇円を損害と認めるのが相当である。
3慰藉料
原告が駒込署員の前記過失によつて脳溢血症を増悪させ約四年の間入院治療を余儀なくされたこと、しかも、今なお、前記認定のように後遺障害に悩まされていること、その他前記認定の諸般の事情を綜合勘案すれば、慰藉料額は三〇〇万円をもつて相当と認める。原告は、慰藉料につき入院期間中と後遺障害に関する部分に分けて請求するが、本件は、交通事故等通常の損害賠償請求の事案と異るうえ、本件では、脳溢血症の後遺症の固定時期及びその障害の程度期間について的確な資料がないので、両者を分別して算定するのは相当ではない。
四進んで、被告の消滅時効の抗弁について判断する。
原告が駒込署に勾留されている間に駒込署員の不法行為によつて脳溢血症を増悪させ、その後原告は東京拘置所を経て勾留執行の停止をうけた後、前記埼玉厚生病院において脳溢血症及びその後遺症の治療を約四年にわたり余儀なくされ、漸く同病院を退院して社会復帰の道を歩み出すことができたのが昭和五一年一二月二五日であつたことは、前記のとおりである。そして、<証拠>によれば、原告は同病院に入院中の昭和四八年夏頃にはすでに本件損害賠償の請求をしたいと考えていたが、入院中であつたため、それが事実上できず、それが可能になつたのは、原告が同病院を退院した後であることが認められ、右認定に反する証拠はない。この点に関し、被告は、原告が昭和四九年三月一日頃には精神状態も正常に戻つていたから、損害及び加害者を知り得たというべきであり、したがつて、遅くとも同日から消滅時効は進行する旨主張するが、本件事案について、原告が入院中においても独自に、加害者である駒込署員を特定し、その不法行為の態様を明らかにしたうえで損害賠償請求を行うということが期待できるという事情は認められないから、右主張は採用することができない。
右によれば、原告が前記厚生病院を退院した昭和五一年一二月二五日から起算しても、当裁判所に本訴が提起されたことが記録上明らかな昭和五四年四月一七日までに民法七二四条所定の三年の期間は経過していないから、被告の抗弁は理由がないというべきである。
五よつて、本訴請求は、そのうち金九七一万三七〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年四月二二日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用し、なお、仮執行免脱の申立については、相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。
(糟谷忠男 野崎惟子 池田徳博)